トップ > 木山啓子さん(JEN事務局長)

1
JEN 事務局長
木山啓子さん

今夜のゲストは、JEN 事務局長の木山啓子さんです。かんき出版から出版された『誰かのためなら人はがんばれる』を中心にお話を伺いました。
『誰かのためなら人はがんばれる』
菅原:
こんばんは、菅原明子です。今夜お届けする1冊なんですが、『誰かのためならひとはがんばれる』。かんき出版から出ております、木山啓子さんの書かれた本です。きょう、よろしくお願いします。
木山:
こちらこそ、よろしくお願いします。
菅原:
この本の中でボランティア活動家としての木山さんの背景から、体験から、いろんな悩みから、いろんなものが出てるんですけれども、このボランティア活動という中でJENという組織を今リードされてるんですよね。JENというのはどんな組織ですか。
木山:
1994年にできた組織なんですけども、最初は本当に半年間だけプロジェクトをやって終わるはずだったんですね。ですけれども、旧ユーゴスラビアで働き始めてみたら、周りの方々にもっとやってほしいっていっていただいて、そのまま終わらずに17年間きたっていう団体です。やらせていただいていることは基本は海外の緊急支援、緊急事態から自立をサポートさせていただくっていうのがJENのやってきたことなんですけれども、今回、東日本大震災があったりして、日本の国内での活動もかなり熱心にやっているというような団体です。
菅原:
JENっていうのには何か意味があるのですか。
木山:
最初にできたときに6団体の合同チームだったものですから、Japan Emergency NGOsのJENなんですけれども、緊急で日本の団体が集まりましたというような意味でした。
菅原:
それが半年間ではなく、NGO団体としてここまでずっと活動されて、今、何年ぐらいになるんですか、94年からだと。
木山:
17年です。
菅原:
でもその前もボランティアですよね。JENができてからは何年ですか。
木山:
JENができてから17年です。
菅原:
JENができる前もすでにボランティアされてたんですよね。
木山:
私自身ですか?
菅原:
はい。
木山:
いや、国際協力のJICAという日本政府の組織があるんですが、JICAの下請けをする企業で社員として働いていたんです。
菅原:
そうですか。17年って一口にいってもすごく長いですが、しかも支援に行ったら普通に3食食べて自分のベッドで寝るっていう生活ではないんでしょ?
木山:
そうですね、最初のうちは。緊急事態で出動しますと、やはり現地でそんなに物資がふんだんにあるわけではないので、自分の寝る場所とか食べるものを確保することを前提に行くんですけれども、行くときにかなり、今回もボランティアは自己完結ってよくいわれてましたけれども、行くときには現地の様子が分からないので全部自分で持っていってということをやってきました。
菅原:
これを読んでると、読む前からなんですけども、どんなアグレッシブで、むきむきでマッチョな女性が出てくるかと思ったら、とってもスレンダーでチャーミングな人なんでびっくり、その落差がびっくりなんですけれども、おしゃれもしなくて、髪がもうもしゃもしゃみたいなイメージですけど、現地行ったときはどんな感じなんですか、お化粧なんかしないんですか。
木山:
現地でもお化粧します。たまたま私、日光アレルギーが出たことがあって、いつもじゃないんですけども、ちゃんと日焼け止めや日傘までさしていることもあります。
菅原:
国際ボランティアだから、しかもソマリアだとか何か聞いている名前が恐ろしいとこばっかりで、こんなとこ行ったら弾がびゅんびゅん飛んでくるんじゃないのみたいなイメージなんですけど、そんな感じだけではないんですか。
木山:
違いますね。もちろんそういう戦闘や厳しい自然災害なんかがあったところでの活動なので、厳しい場所はあるんですが、もっと厳密にいいますと、そこから逃れてきた方々の支援ですので、逃げた先というのは安全なところだから逃げるわけですからある程度は安全が確保されているということと、難民キャンプと呼ばれるようなところにやはり武装集団が紛れ込んだりすることがあるんです。ですから難民キャンプが安全であるようにするためにもキャンプの作り方ですとか、そういったことにはこういう支援団体特有のノウハウがありまして、そういう武装勢力がまぎれこんだりしないようなキャンプを作るということになってますので、治安管理はかなり熱心にやっております。
菅原:
でも銃を持たないNGO団体の人たちが、銃をどっかに隠し持って入ってくる、もしくは銃じゃなくてもナイフを、そういう人たちを見抜いていくって大変じゃないんですか。
木山:
大変なんですけれども、私たちの治安管理の大事なことの1つとして、何しろ命を守るっていうことがあるんです。それは、避難されている方や難民の方の命はもちろんのことながら、やはり私たちのスタッフの命を守るっていうことがすごく第一条件で、そうするとこちらが武装していると、例えばちょっと出来心で物盗りしようと思って襲ってくる人たちも私たちが武装していると知ってたらまず殺してから物を盗るわけなんですけれども、丸腰だと分かっていたら命だけは助けてやるよ、金品は取るけどねっていうようなことにもなるということで、私たちが武装しないことも安全管理の一環なんです。
菅原:
そういうのは逆転の発想ですよね。武装しないのはやられちゃいやすい、オオカミとヒツジの関係でしょみたいな感じがして怖いと思いますけど、ちょっと弱っちいオオカミも先に食べられちゃうわけですね。そういうノウハウっていうのは、やはり国際的な現場でひとつひとつ積み上げていくもんなんでしょうね。
木山:
これは私たちはたった17年ですけれども、世界中の人道支援団体が少しずつ経験を積みながら積み上げてきたノウハウなんです。ですから私たち自身が学んで磨いてきたノウハウもありますが、この分野に蓄積されたものでもあります。
菅原:
難民キャンプっていうと、出来立てのほやほやっていうときには物資がまだじゅうぶんに届かないところから、徐々に整備されて、最終的には何年でもそこに住むような安定的な、それでいいのかっていうふうな難民キャンプまでいっちゃうと思うんですけど、JENの場合は最初の段階で入られるんですか。
木山:
キャンプができるっていうこと自体がある程度時間がたっている。日本の災害のことを考えても、発災直後は何もないわけですよね。いろんな人が本能の赴くままに、もしくは情報に従って、もしくはあるときはデマに従って、みんながどおっと動くわけなんですけれども、安全だといわれる方に人々が行くので、その人たちが本当に安全なところに行くように誘導したりとかしながら、適切な場所にキャンプを作ってお迎えするというふうなことになると思うんです。

JENの場合は、そうはいっても海外ですので、早くても1日以内に出発したとしても、本当の本当の現地に到着するのが3日目とか4日目とかになりますと、もしかしたら近所にもともと居た団体がキャンプを作っている場合もありますし、状況はまちまちです。ただ緊急というのの定義は難しいんですが、緊急事態は決して1週間とか3カ月とかで終わるものではなくて、もう20年も緊急だっていうふうなところもありますので、緊急段階から自立支援をするというのがJENです。
菅原:
そうするとほとんど国連のそういう難民救済のところとの連携を図るということになりますよね。一方では現場でものすごく朝から晩までバタバタ働きながらですけど、一方ではきちっとしたドキュメントを作りながらやり取りをしないとスムーズな流れができていかないという、どっちかというとドキュメント作りの方も大事なんですよね。
木山:
やはり私たちが何一つするにも資金が必要です。その資金がご寄付であれば浄財ですし、税金であればそれも浄財だということで、私たちがお預かりするのは日本政府から預かる場合も国連機関から委託される場合も全部、税金や寄付から成り立ってるので、すべてが人々の血と汗の結晶ですから決してないがしろにできない、1円でも無駄にできないということで、それを担保するのはやはり書類作業も重要だというふうに考えてます。
菅原:
その書類作業は東京に居る人たちがやるんですか。
木山:
現場の人たちも東京の人たちもやります。

木山啓子

特定非営利活動法人ジェン(JEN)理事・事務局長。大学卒業後、電機メーカーなどに約7年間勤務。その後ニューヨーク州立大学大学院(社会学)修士課程修了。1994年AMDAネパール勤務を経てJEN創設に参加し、旧ユーゴスラビア現地統括責任者として6年間駐在。2000年から現職。以降、モンゴル雪害、アフガニスタン内戦、インド西部地震、エリトリア帰還難民、イラク復興、新潟県中越地震、パキスタン地震、スマトラ沖地震、レバノン難民、中越沖地震、南部スーダン帰還難民、ミャンマー・サイクロン災害、ハイチ地震などの支援活動に従事、指揮する。 一方で「自立支援とは?」や「難民・被災者の教え」「極限の中で人は何を求めるのか」「学び方・働き方」などをテーマに、全国各地で講演活動を展開、多忙の日々を送っている。2005年エイボン女性功績賞受賞、日経ウーマン誌ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006大賞受賞。