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桑原晃弥さん

今夜のゲストは、桑原晃弥さんです。ソフトバンククリエイティブから出版された『1分間スティーブ・ジョブズ』を中心にお話を伺いました。
『1分間スティーブ・ジョブズ』
菅原:
自分は天才だとしても、天才っていうのは織田信長と同じで、周りが凡人のことが許し難くて、のろまに見えて、なんでそんなところでぐずぐずしてんだみたいな、苛立ちで人を罵倒したくなる短気さみたいなものがあるんですけど、よく似てるような気がするんですが、そんな人がよくもよくも自分の周りの若い人たちをしった激励しながらも手放さず、育て切って、すごい優秀なチームにして、新しい商品を開発するっていうのはアメリカ的じゃないんですよね。
桑原:
スティーブ・ジョブズの場合は、最初のMacintoshを作ったときも、周りにいた人間っていうのはみんな、自分も20代ですけども、ほとんど20代の若者たちです。彼らはエリートかっていったら、エリートでないんですね。もちろん、優秀な大学を出た人たちもいますけども、会社の中でサービスエンジニアをやってたようなところから、技術を身に着けてはい上がってくる。本人が、ここは異民の集団みたいなもんだという言い方を昔してるんですけども、そういう人間たち、その人たちの持ってる才能を見抜いて、極限まで引き出していくと。それは、もちろん、働いてる人にとっては大変なことだと思うんですけども、そこで働いた、2年、3年、4年という記憶っていうのは、その人にとっては素晴らしいキャリアになっていくと。
菅原:
それも、今、アメリカって、金融街なんか行くと、ハーバードのMBA持ってたり、イェール大学のMBA持ってたら、馬鹿でもなんでもいいから最初から5,000万とか1億あげるような世界でしょ。やってることっちゃ、他の会社つぶしたり、もうかりそうなところにお金投資して食い逃げする。そんで、企業全体をがたがたにしちゃって、勝ち逃げの世界で、10年働きゃいいよって、後は遊んで暮らすからみたいな。なんという不毛な価値観で、まじめに働いてきて、企業を育ててきた人たちを全部根こそぎ地獄に突き落とすような、悪魔のような所業してますよね。その中で、ジョブズのやってることって正反対ですよね。外から罵倒されようが何しようが、やってることは、人の才能を見抜き、我慢しながら極限までその人の才能を育てつつ、一つの結実したのが製品なわけですよね。大変なアメリカ的でないことやってますね。
桑原:
ジョブズ本人もそうなんですけど、目指してるものがお金ではないというところが大きいと思うんですね。もちろん、お金は後からついては来るんですけども、それよりも、やっぱり、最初のときから宇宙に衝撃を与えようとか、世界を変える製品を作ろうとか、そういうことをずっと言い続けてる。作るものは芸術的に美しくなければならないと、エンジニアたちをアーティストという言い方をするんですね。
菅原:
それはいつも、例えば、ヤマダ電機行っても、ビッグカメラ行っても、やっぱりアップルのところは輝いてるんですよね。美しいんですよ。アップルのマークが真っ白で抜かれてて、シルバーの薄型の画面の中に白いのがぷっと浮かんでると、すごいなって一瞬立ち止まりたくなるし、90年から2000年ぐらいですか、新しいMacを作ったときにいろんな色を取りそろえて、スケルトンの物すごい透明感のある、何これみたいな。で、外付けが付いてない。あれって、どこ行っちゃったのみたいな。
桑原:
全部一体ですからね。
菅原:
普通だったら外付けのハードディスクが付いてるのに、その汚らしいのを取っちゃって、一個にしちゃって、なんてきれいなんだろうって。だから、若い子が、うちの娘も含めて、この色好きみたいなね。ショッキングピンクでしたかね、マウスまで。なんて可愛いんでしょうっていうんで、アップルのりんごまで買ってきちゃって、ピンク色の。で、飾ってたりしてね。あの当時見ても、キーボードですら美しかったですね。すごいなと思いましたけどね。
桑原:
Macintoshを開発しているころも、エンジニアたちを美術館に連れてったりとか、ティファニーへ行ったりとか、そういうことを結構やってるんですね。自分たちが作るものは美しくなければならないと。それは、ただ単にきれいな色を塗るとかっていうことではなくて、本当に細部までこだわったものを作ろうと、そういう価値観を植え付けたっていうことが、非常に厳しい職場環境だけども、やり通すとか、頑張ってみようとか。実際、自分たちもそうです。働いてる人間にとって、世界を変えるようなものを作れるチャンスなんてほとんどないですよね。そういうチャンスを与えてもらうっていうすごさなんでしょうね。
桑原:
今もそうだけど、アップルのコンピューターは、薄型になってもフレームがメタルフレームですごいきれいでしょ。デルなんかだと、これ、オフィスコンピューターねみたいな、どこも美しさないけど安いからいいかみたいな、そういう気持ちで買うのと、片や、ニューホライズンじゃないけど、新しい地平線がこっから見えるよみたいな、そんな差があるんですよ、同じ時代なのに。あの美しさっていうのは、やっぱり、究極のそぎ落とし型の美しさなんですね。
桑原:
デザインっていうのは、ジョブズがよくいってるのは、ただ単に外見を飾るということじゃなくて、本当に機能を追求していくと、自然と美しいデザインになっていくという言い方をしてますけども、やっぱり、そこのこだわりがアップルの魂といいますか、DNAとして受け継がれているんだろうなと思います。
菅原:
ところで、一度、自分の引き抜いてきた人が社長になって、自分が会社から追い出されちゃったりと、ひどい目に遭ってますよね。そのことは、日本だったら、自分が引き抜いて社長にした人に、自分が、あんなやつもういらないよっていわれるってあり得ないでしょ。アメリカってすごいなと思うんですけど、何が理由でそうなっちゃったんですか。
桑原:
本人にいわせると、やっぱり、価値観の違いっていう言い方ですね。結局、Macintoshを発売した後、スタートダッシュは非常によかったけども、そっから一時販売不振に陥るんですね。そのときに、引き抜いてきたジョン・スカリーっていうのはマーケティングのプロ中のプロですから、どうしても数字を追求していく人間と、ジョブズのように製品の美しさを追求していく人間、これは価値観の明らかな対立で、取締役みんなが向こう側に付いてしまったという。
菅原:
結局、向こう行っちゃったんですね。経営戦略的に役員たちに給料いっぱいあげれば、役員会議やったときにそっち側になびくっていうこともありますよね。
桑原:
そのころのジョブズっていうのは、今のように高く評価されてたわけじゃなくて、まだ30の、天才的なものを作るけども、気まぐれな若造だという見方もされてましたからね。
菅原:
30歳で追い出されたんですか。
桑原:
ちょうど30のときですね。
菅原:
最初の作ったのが、だいたい21歳ぐらいですか、AppleⅠが。
桑原:
そうです。25歳のときに、アップル、上場させるわけですね。
菅原:
5年でね。そのときに100億円ぐらいの金満長者だったわけですよね。
桑原:
アメリカで、独力で大金持ちになった史上最年少の資産家という評価ですね。
菅原:
私たちは、この人よりも、どっちかっていうとビル・ゲイツの方をよく知ってるでしょ。ビル・ゲイツが上場したより早いんですか。
桑原:
ビル・ゲイツっていうのは、もともとはジョブズの盟友のような人間ですから。当時もIBMのソフトをビル・ゲイツは作ってますが、Macintoshというものを見せられて、素晴らしい、そこに未来を感じるわけですね、ビル・ゲイツ自身が。当時はスティーブ・ジョブズの方がアメリカ中の憧れの若者ですから、その後を追うようにしてビル・ゲイツは育っていったという。
菅原:
私たちがビル・ゲイツを知ってんのは、ずっと、順風満帆に少しずつ少しずつ成長してお金持ちになっていって、総資産世界一とか、そういうふうに1位とか2位とかになってったから、日本人はあの人すごいなっていうふうに思ってたっていうところでしょうかね。
桑原:
ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズっていうのは、非常にいい盟友のような、このコンピューターの業界を切り開いてきたライバルであるし、一緒に歩んできた仲間なんでしょうね。
菅原:
IBMが敵だったはずなのに、スカリーさんたちはIBMと手を組んじゃうわけですね。だから、ジョブズがやったのは、大きな企業目指すとか、総資産が大きいとか、売り上げが高いとかじゃなくて、本物のオンリーワン、世界一のものを作ろうというのと違う方向行っちゃったんですね。
桑原:
ジョブズがアップルが駄目になっていく過程をどう評価してたかっていうと、結局、価値観が変わってしまったと。売り上げを伸ばすとか、利益を上げるとかということよりも、本当は素晴らしい製品を作ればコンピューター業界でちゃんとシェアを持っていけるのに、それを忘れてしまったということがアップルのちょう落につながったというのが本人の評価ですね。
菅原:
ここでこの人がすごいのは、追い出されたからメディアからは総スカンですよね、あの馬鹿がみたいなね。あいつは変人だとか、クレイジーだとか、やっぱりなとか、もう二度と立ち上がらないよとか、ああいう一発屋っていっぱいいるんだよねみたいにいわれ続けて、その中で自分を見失わなかったっていうのもまたすごいですね。
桑原:
ジョブズというと、スタンフォードの卒業式での講演が非常に有名なんですけども、自分の本当に好きなことをやり続けなさいということを学生に語り掛けています。アップルを追い出された後もいろんな話があったんですね、大学の教授になりませかとか。そういういろんな誘いがあったけども、それは全部断って、やはり自分は物作りが好きなんだということで、ネクストを作り、それから、ピクサーを作りと、非常に苦労は多いんですけども、それをやり続けたことがその後の復活につながっていったと。
菅原:
これだってどこにも保証はないですからね。もともとディズニーがあるわけですから、ディズニーと違うピクサーっていうアニメーション会社作ったからっていって、普通は負けちゃうと思うでしょ。そこからピクサーという訳も分からない、アニメーターたちの技術は高いかもしれないけど、技術だけでは一般大衆に受けるという、そういうふうなエンターテイメントの王道を、50年、70年も走ってきたディズニーと戦って勝てるはずがないと思いますよね。なのにもかかわらず、私たちをびっくりさせた『トイ・ストーリー』の1、2、3と『ファインディング・ニモ』。これだって、水の流れの中でなんという世界だろうって驚いちゃいましたけど、ディズニーなんだろうと思ったら、息子がアニメーションの世界に生きてるもんですから、違うんだよって、ピクサーの方がすごいんだよって、宮崎駿さんとも仲がいいんだよとかっていって、だから、新しい世界なんだよって、へえって。これがジョブズさんと関係してたなんてね。彼がその会社のオーナーで、自分の100億円を10年間投下し続けて、ほとんどお金が無くなるほど頑張ったっていう。それでも、最後に『トイ・ストーリー』に10年後にたどり着いたわけですね。すごいですね、この忍耐力。
桑原:
ジョブズっていうと、初期のころは短気なイメージがあるんですけども、案外、僕は辛抱強い人なんだろうなと思ってるんですね。そうでなければ、2年も3年も一つの製品を開発し続けるなんて絶対できるはずもない。まして、ピクサーのように10年頑張るなんて。売ってしまえば済む話ですし、つぶしてしまえば済むんですけども、それをやり続ける。そこの根気よさ、粘り強さというのは、この人を最高のCEOにした一番の原因だと思いますね。

桑原晃弥

1956年、広島県生まれ。慶應義塾大学卒。業界紙記者、不動産会社、採用コンサルタント会社を経て独立。転職者、新卒者の採用と定着に関する業務で実績を残す。また、トヨタ式の実践、普及で有名なカルマン株式会社の顧問として「人を真ん中においたモノづくり」に関する書籍やテキスト、映像の企画、執筆、編集を行っている。 著書に『スティーブ・ジョブズ名語録』『「ものづくり現場」の名語録』(以上、PHP文庫)『1分間スティーブ・ジョブズ』(ソフトバンククリエイティブ)『ジョブズはなぜ、「石ころ」から成功者になれたのか?』(経済界)などがある。