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鈴木遥さん

今回のゲストは、ノンフィクション作家の鈴木遥さんです。
『ミドリさんとカラクリ屋敷』鈴木遥 集英社

今夜お届けする一冊は、とてもユニークな本です。
「ミドリさんとカラクリ屋敷」というタイトルから内容を伺う事の出来ない不思議さがあります。
この本をお書きになったのは、鈴木遥さんです。
この本は、表紙がとても綺麗でした。
ミドリさんという名前も朗らかなイメージがあり、カラクリ屋敷とどのような関係があるのかと思いました。
そして、表紙をめくると写真が出てきました。
この写真がいろいろな表現をしていて、不思議な感じがしました。
その中にミドリさんと思わせる方が写っている写真がありまして、昔から知っているようなおばあさんであり、モダン的な味のある方が笑っているので、読みたいと思いました。
読んでみても非常に面白い本であり、日本の明治、大正、昭和の北海道開拓の歴史やそのルーツになるものが新潟にあるという事が書かれていました。
北海道開拓時代には行ったことがないのだけれども、前人未到の開拓地に乗り込んでいき財産を稼いで来たり、寒さと戦ってきたスケールの大きさを一緒に体験しているようでした。
そのような力強さの中に、芸術的なユニークな方々が描かれていました。
この本は、明治、大正、昭和と生きた日本人の生き方のルーツだと感じました。
ミドリさんは現在99歳ですが、見た目はとても若い方です。
ミドリさんのおじいさんの代に北海道開拓団として出てきた話からミドリさんの生活まで書いてあります。
このミドリさんの家に著者である鈴木さんが出会われたのは、高校生の時でした。
ミドリさんの不思議な家は、平塚にあり鈴木さんの実家と同じ地域にありました。
家の中に電信柱がある不思議な家は、日本家屋であり建築センスが良く引き付けられるものがありました。
そこで、この家にはどのような人が住んでいるのだろうと気になり、インターホンを押したのです。
この不思議な家は、何度見ても飽きないものでした。
この一軒家の中には、6世帯が暮らしており、庭の手入れを手伝ったりするなど綺麗に保たれていました。
16歳でこの家と出会って、この本が完成するまでに10年の歳月がかかっています。

ミドリさんの家族は、兄弟が沢山いて家の中に何十人と人が集まり、雄大な自然がある環境で育っています。
ミドリさんの北海道の家は、大勢の人が暮らしていました。
30人も住む家をお父さんは建てています。
土地はあったので、畑の中に家が点在しているイメージです。
ミドリさんの兄弟は、ミドリさん本人も把握していないほどおり、だいたい10人程度だと言っていました。
北海道では新潟県人で集まり暮らしていました。
北海道で成功したのは、原生林と木材との出会いがあり、林業試験場に対して意見を言えるほどの専門家であり、木を伐り出す権利を与えられました。
その力強さを生かして、どんどんと家を建てていったのです。
ミドリさんのご両親は、新潟時代から財を成した名家同士の出身という事もあり、教養・人格ともに素晴らしい方が結婚して、北海道では周りにいい影響を与えたという事があると思います。
ミドリさんのお父さんは、建築マニアとも取れるほど家を建てていました。
そこに大勢の職人さんが住んでおり、好奇心旺盛なミドリさんはその人たちの作業などを見て覚えて楽しんでいたそうです。
お父さんが建てた家は、回転扉があるなどの忍者屋敷のような家を作っていました。
どの家にも逃げ道が作られていましたが、ミドリさんのお父さんはユニークを持っていました。
そんなお父さんの影響をミドリさんも受けているようでした。
兄弟の中でミドリさんが最も影響を受けたのは、長男でした。
医者であり、勉強もできて顔もかっこよかったそうです。しっかり者でミドリさんとは正反対の面がありました。
兄弟とは家の中の回転扉などで遊んだりして過ごしています。
今はないその家ですが、ミドリさんは事細かに覚えており、本を読んでいてもその世界を思い起こすことができてしまいます。
ミドリさんから聞いた話を検証していくうえで、今はないミドリさんの北海道の家があったことを実感した事と言えば、村の様子や歴史的背景が話とリンクしていたことです。
また、ミドリさん方が住んでいた家の模型を作っている人がいて、その模型を見ても実感しました。
北海道の家と言えば、このような感じの家という形がありますが、ミドリさんの家は他とは違う特徴的な家でした。
ミドリさんの話を聞いている段階で、現地に行ったら面白いだろうなという感じがありました。
そして、実際に行ってみるとそれ以上の面白い事がどんどんと出てきました。
歩いてはじめて見えてくることが多くありました。

ミドリさんが現在住んでいる家にはいろいろな模様が描かれています。
玄関には、武家の屋敷の家紋がありました。
これはミドリさんがカレンダーの裏などにデザインをして建築家の方に頼んだものです。
松竹梅が窓を覆うようにデザインされていたり、2階にもユニークなデザインがおしゃれを演出しています。
屋根から飛び出ている電信柱だけでなく、家の中全体に楽しいデザインが含まれていました。
ミドリさんが家を作ってくれる方への指示出しは的確であり、それは子供の頃の経験が生かされています。
子供の頃のミドリさんの家族は、正月に3日間かけて盛大なカルタ取りを行います。
この一つを見ただけでも北海道の寒さの中で村人を集めて、カルタ取りを行う行動力や継続力が素晴らしく感じます。
村人を集められる家の広さや豪快な人柄を想像させてくれ、ミドリさんの性格に繋がりました。
ミドリさんの旦那さんは、単身新潟から北海道に渡ってきた方です。
旦那さんも建築が好きな方で、旦那さんが考えた面白いアイディアをミドリさんと一緒に形にしていく家庭でした。
二人は開拓者精神が旺盛で、一カ所に留まっているよりは、目的に向けて進んでいく考えを持っていました。
ミドリさん夫妻は40代で東京に出てきて、独身寮にて管理人として定年まで働いていました。
料理を行うために料理を習いに行き調理師免許を取得するなど活動的でした。
そのような生活の中でしっかりと貯金をして家を建てています。
土地を選ぶときも、実際その場で一日過ごして、陽の当たり方などを確認し、その土地の良し悪しを判断しました。
そして、大工さんの選び方まで徹底して拘りを持って作業を行っていました。
ユニークな事を簡単にやってしまう素晴らしさがあります。
家の中にある電信柱は、家を増築する際に電信柱を立てて、それを中心として家を増築させました。
家の中に電信柱があると、家の強度が増すという観点がありました。
増築前の家は退職前に建て終えて、退職するまでは人に貸して家賃収入として機能させていました。
人生を楽しんでいる感じが読んでいてとても伝わってきました。
また、この家だけでなく定年後も次の家を建てています。
6世帯が住んでいるためミドリさん自身も寂しさはないのではないでしょうか。
今を生きる楽しみやクリエイティブな楽しみ方を実践している方でした。
教科書にはない素敵な生き方であり、物事の考え方がポジティブであり、また笑に変えてしまう所がミドリさんの素敵な所でした。