現在、評論家として活動していらっしゃる佐々さんは文藝春秋から出版された『菊の御紋章と火炎ビン』をベースに当時の皇太子ご夫妻に火炎瓶が投げられた沖縄ひめゆりの塔での事件をはじめとした昭和の記録と、これからの日本の危機管理についてお話を伺います。 |
佐々淳行
「危機管理」という言葉のワードメーカー。1954年(昭和29年)3月 東大法学部卒業、1954年(昭和29年)4月 国家地方警察本部(現警察庁)入庁、1954年~1965年 警視庁、警察大学校(助教授)、大分県警、埼玉県警、大阪府警、警察庁等に赴任、1965年(昭和40年)2月 在香港日本国総領事館領事 1968年~1975年 警視庁・警察庁 1968年7月に帰国後、警察庁・警視庁の調査・外事・警備課長、 監察官などを歴任 1975年(昭和50年)8月 三重県警察本部長 1977年(昭和52年)2月 警察庁刑事局参事官 1977年~1986年 防衛庁出向、防衛審議官、教育参事官、人事教育局長、官房長、防衛施設庁長官を歴任 1986年(昭和61年) 内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長、1989年(平成元年) 昭和天皇大喪の礼を最後に退官