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建築家
安藤忠雄さん

今回のゲストは世界的な建築家の安藤忠雄さんです。建築界のカリスマと呼ばれる安藤さんは、これまでの人生と建築を語った初の自伝「建築家・安藤忠雄」を新潮社から出版されました。
安藤さんが影響を受けた中学2年生の時に見た大工さん
菅原:
先生は若い頃に世界中まわって水平線を見たり、地平線を見たり、船でずっと長い間ボーッと海ばかり見るとか、あっちこっちの建築をパンかじりながら見て歩く。若い頃に私もガウディを見てね、ショックを受けたりとか、主人が建築の本持ちながらあちこち行って、いっしょにパンかじりながら見たんですけど、やっぱりいろんな国のいろんなものを見るっていうのは、若いからこそグッと奧まで入ってきますね。年取ってからお金を持つようになってから、いいホテルに泊まってみて、見に行った時に同じものを見てももう昔感じたガウディのショックとかそういうのはないんですよね。
安藤:
それはやっぱり、十分知識も社会も知ってね、感動を忘れてから感動を取り戻すのは難しいですから、若いうちにというよりも自分が勇気のあるうちに青春を生きる道に、私はやっぱり青春というのは目標を見いだしている時期だと思うんですね。70歳でも80歳でも。新たな目標を見出していかなければいけないと。そして、90歳でも100歳でも目標を持って生きてると元気なんですが、日本の場合は女性はけっこう目標を持って元気です。

外国へ行って「日本どうですか?」と聞くと。「日本の何がすばらしいか?」と聞くと、「長寿ですね」というんですよ。女性は90歳まで、男性は80歳超えて、女性はだいたい若くてきれいだと60歳の女性が50歳に見える。50歳の女性は40歳くらいに見えるんじゃないかと。それはやっぱりなにかと聞かれるんですが、日本の女性は生きることに熱心。生きることに好奇心満点でしょ。映画行ったり美術館行ったりしますが、男性はゴルフ以外は寝てる。これではね、生きていてもしかたがない(笑)
菅原:
じゃあ、死んだ方がいいですかね(笑)
安藤:
うーん、死んだ方がいいと思うねこんなものはもう(笑)そのためにもね、20代、30代、40代、そのあたりで自分の好きなものを見いだしておかないといけないと。90歳までいくんでしょ。ならやっぱりね自分の好きなものを見いだすといいですね。
菅原:
若い頃に旅をされた中で「これが建築だ!」みたいな感動はどこで一番感じましたか。
安藤:
これは最初に1965年にヨーロッパ行った時に私の友人が建築学科行ったもんで、せっかくだからギリシャのパルテノン神殿を見ろと。またローマのパルテノン神殿を見ろとこれが建築の原点だと言われたので行くわけですよ。だけど、残念ながら教養がないものですからわからない。だけど、すごいということだけは感じる。例えば数年ごとに行くとだんだんと理解されてきて、そのときに思いましたね。わからないものを見る。だから、あーこれはわかったではなくて、これは何かあるぞというものを見なければならない。疑問を持つということが一番重要なんではないかなということを直感的に感じたんですけどね。そういう面ではギリシャのパルテノン神殿も今もってすごいなと。ローマのパルテノン神殿もすごいなと。

人間というのはあれを作りながら生きているということに喜びを感じた人が作ったんだと思いますがね。私、10代のはじめに中学校2年生の時に私の家を増築したんです。木造二階建てに。そのとき、隣の大工さんがやったんですが、それを手伝ってて掃除など手伝って見てたんですが、この人は昼飯にパンを食べるくらいで休まない。こんなに働くのはこれはひょっとしたらおもしろい仕事なんだろうと思いました。一心不乱にやっててね。これはやっぱりすごい仕事だと。おもしろいと思って、建築にはおもしろいという印象があったんですね。
菅原:
そういう意味では情熱を注ぎ尽くしてここまで来られて、なおかつ尽くして終わってなくてこれからまだまだやりたいことだらけの。
安藤:
うーん、まぁ、自分でお金を貯めて、さぁ、料理してくださいと持ってくるのは施主ですからね。人が貯めたお金で「エイヤァ!」とやっておきながら、「これはうまくいかなかったな。」とかね。「失敗だ。」とかね自分の心の中で思うわけでしょ。おもしろいじゃないですかこれ。
菅原:
そういうこともあるんですか。
安藤:
いっぱいありますよ。「これはまずかったなー。」と言いませんけどね。倒れるわけじゃないですから。「あそこはこうしておけばよかった。」というのはけっこうありますね。ほとんどの建物にありますね。うまくいかなかった部分が多いほどおもしろいですね。あとで見に行ったら。その人が何をやりたいかというのが現れるのは失敗した部分ですよ。成功した部分には見えないですね。

安藤忠雄

昭和16年大阪生まれ。独学で建築を学び、昭和44年に安藤忠雄建築研究所を設立。昭和54年日本建築学 会賞、昭和60年アルヴァ・アアルト賞、平成元年度フランス建築アカデミー大賞(ゴールドメダル)など。瀬戸内海の破壊された自然を回復させるため中坊公平氏と共に「瀬戸内オリーブ基金」を平成12年 に設立。アメリカイェール、コロンビア、ハーバード大学客員教授歴任。平成9年から東京大学教授、 現在、名誉教授。