トップ > 安藤忠雄さん(建築家)

4
建築家
安藤忠雄さん

今回のゲストは世界的な建築家の安藤忠雄さんです。建築界のカリスマと呼ばれる安藤さんは、これまでの人生と建築を語った初の自伝「建築家・安藤忠雄」を新潮社から出版されました。
実は評判が悪かった「住吉の長屋」
菅原:
そういう意味では「住吉の長屋」というんですか。あれはものすごく印象的な建物ですね。
安藤:
そうですね。
菅原:
これはもう30年前ですか。それが全然古くない。今、写真で見てもすごく美しいですよね。これってシンプルイズベストではないですけど、今、こういうものが町中に住むというのが注目されるようになってきましたが、あの当時っていうのはちょっとでもかっこよく、ちょっとでも郊外に大きくアメリカ流にっていうのがあった時代にあえて都会のど真ん中の小さいところにはいつくばってここに住み続けるみたいな建物を造られて、、、
安藤:
そうですね。
菅原:
今では、この中庭がパティオと呼ばれて、そういう意味では光をとり、風を抜き、そこに緑を植えたりして、いわゆる自然ですか。だんだん普通になりましたけど、30年前は建築家が腰を抜かすようなものだったんですか。
安藤:
評判は悪かったですね。機能的にも悪い。機能を分断して中庭がある、不便だと。コンクリートも打ちっ放しですから、装飾がないと。「建築家の傲慢だ。」とよく言われましたね。でも、住み手と私が納得して作ったんです。
菅原:
でも、これは日本建築学会賞をもらったということは、認める人は半分以上いたわけですよね。
安藤:
いやいや、10%くらいね。だと思うんですが。
菅原:
10%の人が偉かったんですかね、賞がもらえたということは。
安藤:
この建物について言いますと、作り手と施主は納得できてるわけですが、他人が来るとね、「床暖房した方がいい」と、「天井にガラス張った方がいい」とかいろいろ言うんですけどね、「上に天井張ると光が入ってくるけども風が入ってこない。」と。「床暖房した方がいいけど、お金がない。」と。

建物というのは全部、条件が違うんです。条件の違う中で一つの新しい家をと。それは今の若い人達といっしょですね。それぞれ全部条件が違うんです。条件の違う中で自分の世界を作らなければならない時代ですから、徹底的に考えて自分の世界を作れというメッセージにもなってると思うんです。

菅原:
そういう意味ではたくさんの勉強がこの中に。突き詰めて、住むということを考えて考えて考え抜くというテーマがこの中にあったということですか。
安藤:
住まいというのはそれぞれ違うでしょ。この人の土地は違う、この人の費用は違う、家族構成が違う、この人たちにとっては快適な家でもなんと寒い家、なんと使いにくい家とこうなるんですけど、家というのはもう100人いたら100人違うんだと思うんですね。それは今のとこ納得されてですね、30数年住んでおられますからね、すごいと思ってますけどね。

菅原:
大きな豊かさを得るためにちょっと不便はしょうがないと。
安藤:
自分の努力で解決しろと。「例えば寒かったらどうするか」と言ったら、「寒かったら一番シャツ着たらいい。」「もっと寒かったらどうする。」考えろと。「もう一枚着ろ。」と。「もっと寒かったらどうするの。」というから、「もうあきらめろ」と。「お金ないんだから。」と。

だから、そこまでいった時に自分が住むということ、生きるということがどういうことなのかということを考える家なんですが、その当時は家と格闘するとか、考えて住むとかとんでもないと。「家はもっと便利できれいに作れ」と言われましたけどね。

菅原:
でも、やっぱりテーマ性がきちっと30年の中でその方々がそこに住むことの楽しさと不便さと両方の中で楽しいことがいろいろあった気がしますね。
安藤:
そうですね。

安藤忠雄

昭和16年大阪生まれ。独学で建築を学び、昭和44年に安藤忠雄建築研究所を設立。昭和54年日本建築学 会賞、昭和60年アルヴァ・アアルト賞、平成元年度フランス建築アカデミー大賞(ゴールドメダル)など。瀬戸内海の破壊された自然を回復させるため中坊公平氏と共に「瀬戸内オリーブ基金」を平成12年 に設立。アメリカイェール、コロンビア、ハーバード大学客員教授歴任。平成9年から東京大学教授、 現在、名誉教授。